2009/11/06

アタとの出会い!

今回は、アタとの出会いについて。


ASHITABA BALI は、現地インドネシアの会社と思っている方が、
多いようですが、実は、日本の会社の現地法人です。


今では、旅行ガイド等に外国人オーナーの店などとよくありますが、
当時は、ほとんどありませんでした。






1980年代当時、バリ島ですばらしいものは、
心地よい風と緑いっぱいの自然とゆったりした
時間の流れだけでした。


”安かろう、悪かろう”そんな中で初めて見る素材アタの商品は、
(と言っても笛を吹いたら、蛇が出てきそうな?形)でしたが、
とても繊細で美しいものでした。
でもつぼ型のバスケットだけでした。





★☆世界中で使える物をアタで作りたい!☆★



主役は使途が狭い、脇役の商品ならどこでも使える!
ASHITABAは、脇役にこだわり、デザイン製作を始めました。


当時、現地の人達には、ランチョンマットやコースターなどの
商品を理解することは、できませんでした。


何故なら、彼らには、他国の様に家族で食卓を囲む習慣がありませんでした。皆、それぞれが、台所にできているものをプラスチックの器によそい、
好きな時に好きな場所でたべていました。


もちろん、ナイフもフォークまして箸など使いません。
ちょっと前までは、右手だけで食べていました。(ヒンズー教では、左手は不浄の手とされて)今でも、子供の頭を左手で撫でては、いけませんよ。(本当!)


それ故、形、サイズをきちっと決めて、コースター、マットなど作らせても最初は、好き勝手に模様を入れたり、大きくしたり・・・
他の人よりこんなこともできると主張してきました。
(これ、何に使うの?っといった感じでした。


また、当時の腕利きな職人達は、ギャングの中間搾取が激しく、安い賃金で作っていました。いつできるかもわからない、
予定は未定?生産システム化など程遠いものでした。


まず、商品の安定生産のためにギャングを外すため、素材のアタを乾燥させたものを週1回、4トントラック一杯にして毎週買いつづけ職人に提供し続けました。
当然、ギャングから、追いかけられました。・・・(苦笑・・・)