2009/10/27

はじめまして!



これから、アシタバの本音ブログを書いていきますので、よろしくお願いします。

まず、1回目は、最初にバリ島を訪れたころのBALIのお話です。

1980年今から、30年ぐらい前のお話です。

そのころは、まさに過去へのタイムスリップでした。(そのころの日本と比べてもっともっと前という感じ)
電話も町に数本しかなく、日本への連絡(電話、FAX)は、1日がかりの仕事でした。


朝、電話を申し込み、夕方電話が、つながる・・・・という今では、想像できないことでした!!


クタにある、スリカンディコテージの前にある黒板にFAXの到着がかかれてあり、誰かが教えてくれたものでした。(そのころは、お店も少なく、みんな知りあいという風でした。)

車などほとんどなく、観光バス以外は、VWのジープが、走っているくらいでした。ドアのない(外れている??)車や屋根のない車(しゃれたオープンカーじゃないですよ!)どこも、おしりが、痛くなるほど、ガタガタ道でした。(そういう道をジャランバリと言っていました。)

当時のBALIは、観光(当時は、ヨーロッパ人のリゾート)、ヒッピーとサーファの街で日本人の観光客はほとんどいなく、ジャラン パドマから先では、日本人を見たことが、ありませんでした。特産品は、安かろう、悪かろうで、全くお話にならないしろものばかりでした。


すべて、新しいもの、便利なもの、良いものはシンガポール~ジャカルタ経由でしか、手に入らなく、高いものでした。


ガソリンスタンドは、バリに3ヵ所。所々にあるワルン(商店)で量り売りしているガソリンは、微妙に
色が、違い、大丈夫か?まあ、車もポンコツだから、まあいいかあ!という状態でした。


夜になると、街灯はなく、星と月が、ミョウに明るく、気がつくと、そこら中に座っているインドネシア人
の光る目とガラムのにおいでBALIを感じるのでした。

でも、そのころのBALIは、最高にパラダイスでした!


好きな時に起きて・・・・・好きな時に食べて・・・・・好きな時に昼寝して・・・・・

怠け者になるのが、とても簡単な島で、唯一、日本人とドイツ人は、朝仕事に出かけ、夕方帰って来る。何が、正常か?異常か?…わからない島で・・・・たぶん、多数決で行くと日本人とドイツ人が、異常な人種になるのかも・・・・・


つづく・・・・・・